和田山トーイの取説

和田山トーイは、こんな建物です。だがし屋の店番をお願いできるなら、どうぞ使ってください

じわじわと、だがし屋になろう

JR高崎線神保原駅駅下車、改札から歩いてわずか40秒。駅通りを行くと左手に「和田山トーイ(おもちゃ)」はあります。ここはかつて、和田山さんご夫妻が営む駄菓子屋さんでした。

2023年秋、閉店――。
建物がなくなったら、駐車場になってしまう。子どものころから親しんできた「わだやま」(地元ではトーイをつけずに呼びます)を残したい。築100年という建物の改修を決断すると、「何を始めるんだい」という声がたくさん寄せられました。高校生や中学生が工事現場をのぞくことも。興味関心の高さは、すっかりさびしくなった駅前にふつふつとわいてくる、にぎわいの胎動ようでした。

和田山トーイは、地域の中でどんな機能を持っていたのか。ぼくらにとって、この地域にとってどんな存在だったのだろう。
あれこれ考えても答えが見つからないので、走りながら考えることにしました。和田山さんのご家族に許しを得て屋号を受け継ぐことになりましたが、本業を別に持つ片手間の駄菓子屋です。半人前の店主ですから、ひらがなの「だがし屋」です。

かつての和田山トーイ。「わだやま」の愛称で長く親しまれ、地元では知らない人はいない名店でした

使いたい!建築がもたらしたざわめき

建物が一応の完成をみると、ざわめきは一層大きくなりました。子どもマーケットや読み聞かせの会、仲間が集まる飲み会(たそがれ会議と呼びます)、子ども食堂、マッサージ屋、まちづくり会議(これは行政から)などに利用したいという人が現れ始めました。ここはだがし屋だというのに「駄菓子屋をやりたい」という手ごわいお誘いもいただきました。

建築とは、かくなるものか。実は走り始めて驚いています。
建築は、和田山トーイという地域遺伝子をこんなにも上手に言語化してくれました。懐かしさや楽しさ、手軽さといった駄菓子屋の機能を設計するのではなく、自由な空間・気ままに集う場として再生する。それは、さびしくなってあきらめが見え隠れする駅前に届いた力強くて確かな言葉でした。「利用したい」「生かしたい」という周囲のざわめきは、ぼくらが思うにぎわいを予感させました。

和田山トーイを初めての利用したのは、小学生です。2025年5月、「子どもマーケット」が開かれると、にぎわいの予感は手応えに変わりました。

店内では、子どもマーケット開催中。だがし屋の店番も子どもたちに。予想外の売り上げでした(笑)

店番する?「なら、どうぞ」という使い方

だがし屋の営業は今のところ不定期です。なにしろ、店番ができないもんで。
いろいろ考えるのは後回しにして「店番してくれるなら、どうぞ使ってください」方式で走り始めようと思っています。使用料や利用規約など細かいことは追々に。ひとまず「駄菓子の売り上げで維持費をまかなえるんじゃね」というおいおい(大丈夫か?)なスタートです。
利用に際して決まっているのは今のところ、これだけです。

  • だがし屋の店番をしてくれること
  • 店主が面白いと思えること
  • 東町(店主が暮らす自治会、行政区といいます)の住民の、特に子どもや子育て世代の「自分もやってみたい」「参加したい」につながること
  • 商売商売していないこと(不動産賃貸業じゃないし、商売しようにもそもそも人通りが…ねえ)

駅近好物件 ただしトイレ・台所なし

自分で言うのもなんですが、建物は見た目ちょっと洒落てます。ただ、トイレも炊事場もありません。トイレは徒歩40秒の駅に公衆トイレ(シルバー人材センターの皆さんのおかげでとてもきれい)があります。流しはありませんが、水道はあります。どうしてこうなっちゃったのか、については追々紹介していきます。では、ひとまず画像をご覧ください。

正面。駅通りに面してます。黄昏時はいい感じです
建物裏。路地のように駅通りから店内を通り抜けます
裏庭があります。「使える」予感がします
屋内の半分は小上がりです
小上がりから見た土間部分
土間の半分は砂利敷きです
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